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執筆者の写真俊治 南

「風土と建築、Aaltoの考察」           2024.5.25 南 俊治


「Le Corbusierは図面でわかるが、Alvar Aaltoは行ってみないと分からない」、大学時代に教わった今は亡き芦原義信師の言葉である。

その後、坂倉建築研究所でお世話になりそこを退所し機会があって1996年の夏、フィンランドに行く機会が訪れ念願が叶った。その時は季節がよかったので分からなかったが昨年アアルトの映画があり見たときに愕然としたことがある。1930年代にできたパイミオのサナトリウムは凍り付くような冬の寒さで豪雪吹雪に建つ映像は強烈であった。Aaltoは言葉数の少ない建築家であったが、光を室内奥まで引き込めるよう最新の心を配り、木や土の素材を活かし優しい曲面が持ち味の建築家だ。アアルト財団シニアアーキテクトを迎えて講演会が本日京都であり深く掘り下げた話しが聞けた。1930年代当時の結核患者は全世界に流行し数百万人の数に及んだそうだ。奇しくも私が神戸のサナトリウムに入ったのはそれから50年後の1980年であったが、薬の飛躍的な進歩のお陰もあって200日で完治して退院できた。

1930年当時も同じく200日の入院を余儀なくされたようであるが、完治する事なく途中で退院させられた患者は山ほどいたようだ。

さて話しを戻し、実際にAalto建築を体験して最も記憶に残ったのがセイナッツアロの町役場であった。赤茶けたレンガの低層中庭形式の名建築である。

図面を見ると土地の高低差はほぼフラットであったが、中庭のレベルは1層分の土を盛り1階の半分は地階のようになった断面構成である。基礎工事に出た土を敷地内に均し調整したという合理的な説明も成り立つが、私の見立ては違う。冬の極寒の風土ゆえ地中熱の暖かさを求めた熟考の末の回答ではなかったのではないだろうか・・

Aaltoはフィンランドのローカルアーキテクトではあるが、風土に見合った魅力的な建築を創り上げた功績は多大で、国際的な建築家であった事は間違いない。

なおアアルト財団からの話しによると1948年に町役場の初期構想図面が見つかり、実際コンペがあったのは1950年だったということからして「出来レース」の可能性を匂わせているという

一大プロジェクトを一般的なコンペや指名プロポーザルとして存在することはいつも我々建築家の頭を悩ませる仕組みである。若い者にも、また実績がなくとも公平に門戸を広くプレゼンの機会を与えられ、そして公平な審査と結果が保証される社会を望みたいものである。

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